<総門>
徳川家康公と可睡斎 |
今から約400年前、第11代住職仙隣等膳(せんりんとうぜん)は小僧時代に臨済寺で、今川義元の人質となっていた松平竹千代(後の徳川家康)の教育を受け持ったことがあった。後に浜松城主となった家康は、その時の恩を忘れず、昔からの付き合いを再開したく考え、仙隣等膳和尚を城に招いた。ところが道中の疲れもあり、当時を懐かしむ話をしている最中に、和尚は居眠りを始めましたが、家康はこれを許しました。睡眠を可能にするということから、「可睡斎」という名称になったと言われています。後に和尚は、10万石の待遇と徳川幕府最初の僧録司という職も与えられました。 |
火災を防ぐ神として1300年の歴史と宗門600年以上の伝統を誇る東海屈指の名刹・可睡斎は、秋葉三尺坊大権現様の御真躰を祀る祈祷道場として、また多くの雲水(修行僧)が修行する曹洞宗の専門僧堂「禅の寺」として知られています。山号は萬松山(ばんしょうざん)本尊は聖観音(しょうかんのん)。寺紋は丸に三つ葉葵である。
伊東忠太博士の設計に基づき平成22年に落慶した山門。阿形像と吽形像が迎えてくれます。
秋葉三尺坊大権現様の御真躰を祀る火防総本山。火防をはじめ人々の幸福祈願の一大道場です。黄金に輝く「秋葉総本殿」の扁額は、有栖川宮熾仁親王より賜ったものとのことです。
秋葉総本殿に向かう階段を上っていくと両脇の天狗が睨みをきかせて立っています。秋葉総本殿を護る烏天狗と鼻高天狗。立っている像は、人々を救おうと立ち寄った姿だと言われています。
秋葉総本殿から東の山を上がっていくと、戦国時代に武田勢に追われた家康が、この穴に隠れて命拾いをしたと伝えられる洞窟があります。その後、家康が出世したことから「出世六の字穴」と呼ばれています。是非ぐるりと巡ってみて下さい。
大黒殿に祀られている「開運出世大黒尊天」は、家康も篤く信仰していたとの言い伝えがあります。
山門をくぐり、右手に見える趣深い建物が瑞龍閣です。昭和12年に建築された総ヒノキ造りの建物で、安土桃山時代の書院造り風です。1階・2階には、山口玲熙画伯(日展会員)の描いた襖絵があります。(国登録有形文化財)
また、瑞龍閣の中には、日本一の大東司と言われる水洗トイレがあり、その中央には、烏鄒沙摩明王像(うすさまみょうおうぞう)が祀られています。
永平寺ご開山道元禅師の御霊骨を奉安する霊廟です。等身大のひな人形は、なんとサイズは人間とほぼ同じで、製作期間は4年10ヶ月もかかるそうです。
<可睡斎ひなまつり>(1月1日~3月31日) (大書院廊下の展示) |
供養として納められた3,000体のおひなさまが、皆様をお迎えします。なかでも、国登録有形文化財「瑞龍閣」に飾られる「32段・1,200体のひな段」は、壮観です。 |
可睡斎は、東海道一の禅の修行道場でもあり、禅寺としても知られています。一般の座禅体験も受け付けており、精進料理、座禅、写経、法話を体験することができ、静寂の中で自分を見つめ直すきっかけになりそうです。
境内には、日清戦争の講話条約調印の際、来日して暴漢に襲われた李鴻章(りこうしょう)が、日本陸軍の軍医総監佐藤博士に命を救われたことから、その感謝の意を伝えた文言が刻まれている石碑があります。
<可睡斎境内のイラストマップ>
交通のご案内 |
■JR東海道線ご利用の場合 袋井駅下車、バスで15分、聖隷袋井市民病院経由「可睡斎入口」下車 ■新幹線ご利用の場合 掛川駅よりタクシーで25分 ■お車の場合 東名袋井インターより3km 約10分 新東名森掛川インターより6km 約20分 |
600年の歴史を刻む東海屈指の古刹の可睡斎は、徳川家康公関連の雰囲気も堪能できる場所です。是非お越し下さい。