神社名の分器(ぶんき)とは、昔の度量衡(はかり)のことでこれにかかわりのある役所や蔵があったとういう説から来ております。
遠江分器稲荷神社は、家康公が三河から浜松に入った1568(永禄11)年に創建されたと伝えられています。稲荷神社の場所は、当時東海道沿いに栄えていた引間宿の南限にあたり、経済の中心として大変賑わっていました。家康公が引間城(浜松城)を拡大し、堀尾吉晴や江戸時代初期の譜代大名が城下を大改造すると、引間宿は解体されて跡地は武家屋敷になりました。
【社殿】
金色の狛狐とずらりと並んだ赤い旗が目を引く遠江分器稲荷神社。1604(慶長9)年に家康公の命により社殿を修造したと伝えられています。残念ながら戦前の社殿は昭和20年6月の空襲により焼失しており、現在の美しい姿は昭和31年に再建されたとのことです。
【手水舎】
神社の手水鉢は、昭和32年に建てられました。
【本田忠勝 屋敷推定地標柱】
神社の西側には家康公の重臣・徳川四天王の一人として大活躍した本多忠勝の屋敷があったと伝わっており、屋敷の推定地の標識も立っています。本多忠勝は、神社に徳川家の繁栄と武運長久を祈願し、生涯大小五十余戦しましたが微傷一つも負わなかったと伝えられています。
<遠江分器稲荷神社のご案内> | |
場所(住所) | 静岡県浜松市中区田町232-5 |
交通アクセス | JR東海道新幹線・東海道本線「浜松駅」下車 徒歩15分 遠鉄電車「第一通り駅」下車 徒歩5分、「遠州病院駅」下車 徒歩3分 東名高速道路を利用する場合・・・浜松ICより車で約25分 新東名高速道路を利用する場合・・浜松浜北ICより車で約40分 |
遠江分器稲荷神社は、乱世を生き抜いた徳川家康公ゆかりの地です。是非お越し下さい。